「典型」や「標準」を求めるのはやめる!

誰しも生まれた環境は違います。裕福な家庭に生まれた人は、欲しいものは何でも親が与えてくれるのが普通だと感じるでしょうし、貧しい家庭に生まれた人は、欲しいものはなかなか手に入らないのが普通だと感じるでしょう。人生は決して平等ではありません。生まれた時点で富める人と貧しい人の差はあり、努力や怠惰の度合いによってその後の人生が入れ替わる、ということはありません。生活苦を味わわずに一生を過ごす人がいる一方で、ワーキングプアから抜け出せない人がいます。

これが、「大富豪と庶民」のように格差の大きい関係であれば、わざわざ比較して自分はみじめだ、とは思わないでしょう。単純に「そういう特別な人もいるんだね」くらいに、他人事として冷静に受け止められるはずです。ところが、同じような境遇の人に対してだと途端に感情的になってしまうのが人情です。つい比較してしまいがちなのが、血縁者や近所に住む人、年齢が近い人や会社の同僚などです。そういった人の成功談もしくは失敗談を聞くと、感情が大きく揺らぐのではないでしょうか。

たとえば、会社の同期が結婚し、親の援助を受けてマイホームを買ったと聞くと、恋人も裕福な親もいない自分は可哀想だと感じるでしょう。昔の恋人が出世して高給取りになっていると聞けば、今のダンナと結婚したのは間違いだったと悔やむでしょう。子供ができないことを気にしているなら、きょうだいに三人目が生まれたことを疎ましく感じるかもしれません。年齢が同じというだけで、成功しているスポーツ選手や実業家に対して嫉妬心を覚えることもあります。

「典型的な一生」というのを人は思い描きがちです。学校を卒業して会社に入り、結婚して子供ができる。ついでにマイホームを買えたり、自分の親が子供の面倒を見てくれたり何かと援助をしてくれたらラッキーです。女性であれば、「夫の収入だけで生活したい」と願うかもしれません。実際にそのような家庭もあります。そのため、自分がそうでないととても不幸な気がします。しかしその「典型」はごく偏ったイメージだと自覚しなくてはなりません。

少しも典型に当てはまらない人、一部しかあてはまらない人の方が多いのではないでしょうか? 就職できない人もいれば、就職したけれど失業してしまう人もいます。結婚できない人もいれば、結婚したせいで苦労する人もいます。生まれた子供と自分の親がそれぞれ健康ならいいですが、どちらにも介護や世話が必要な場合もあります。幸せか不幸せかは、当人以外が決めることはできません。あなたが羨ましいと感じる相手が、あなたを羨んでいないとも限りません。外的な条件だけで他人を羨ましがる必要はないと言えるでしょう。

「理想が叶ったら幸せになれる」と思っていると、いつまでも幸せにはなれません。それよりも、今のままで幸せを感じられるようになってください。「結婚できれば幸せなのに」と思えば、独身の間はずっと不幸です。それよりも、独身の状態で幸せに過ごせる方法を探しましょう。満足な生活費を渡してくれないダンナが不満なら、自分で手に職をつけて稼ぐ努力をしましょう。幸せは誰かに与えられるものではありません。他人に頼る気持ちを捨てて、自力で得たものこそがあなたを幸せな気持ちにさせてくれます。